2018年06月14日(木) | 保育
新年度が始まって、すぐにおひさまらしさを追求し自分たちに課すおひさま自身(笑)頑張り過ぎて、空回りして、疲れ切って、嫌になっちゃって、いい具合に力が抜けて来たこの頃。そんな頃に抜群のおひさまらしさが出て来てます!
それが 今かな?
今日とってもいい場面を見た。
お片づけだよ〜の声に動き出すおやまちゃん、うみちゃん、おひさまを横目に、ちーっとも片付ける気なんかないはっぱちゃん(笑)廊下に探検に行ったり、ウロウロ。するとうみちゃんから途中入園だったおひさまのH君。「はっぱちゃんもお片づけだよ」と声をかける。はっぱちゃん女子ふたり手を繋いでニヤニヤ。そして、またトコトコとあっちの方へ、こっちの方へ。すると、H君はふたりを捕まえた。そして、しゃがんで彼女たちの目線に合わせて、顔を覗き込み「ねぇお部屋戻ってお片づけしよう」と優しく声かけてくれた。するとはっぱちゃんの女子ふたり、トコトコとH君についてお部屋へ。
お片づけの仕方も優しくしゃがみながら教えてくれていた。
こっそり見ていたので、H君が彼女たちがお片づけを始めてホッとした顔をした頃に声かけた。
「ありがとね、H君!」
汗だくの顔でニッコリと「うん!」
もう1つ。
朝のお支度の中の1つに、自分の足拭きタオルを大きなカゴに入れるというものがあり、みんな朝からポンポンとそこに入れて行く。所定のカゴに入れれば良いというルールしかない。
なので、自分が使おうとした時に、カゴの中から自分のタオルを探すためにゴソゴソ掘り出すこともある。
そんな経験をして、歴代のおひさまはいつも誰かが気づいて、取りやすいようにカゴの中のタオルをキレイに見えるように入れ直してくれる。本棚の本のように並べて。
今朝またポンポンとカゴに入れて行った小さい子たちの後で、「あーこうやっちゃうと見えないんだよねー」とよく気づくおひさまのTちゃんが直し始めた。すると側にいたおひさまのAちゃんも「Aもね、それ気づくと直しているんだよー この前は Aが全部直しておいたんだー」するとTちゃん「そうなんだ、ありがとう。気づいた人がやればいいんだよね」
こんな会話もこっそり聞けると嬉しい。
ちょっとしてから、「タオル、、、ありがとね」と声かけるとニッコリ。大したことありませんよってな感じ。いーじゃない。これこそが「おひさまらしさ」だよ!!!
いかにも私たちやりました!!!!でもなく、大人がひょっとすると気づかないような場所でのこども同士の会話。
こんな会話が聞けた時、本当に嬉しいものです。
2018年05月14日(月) | 保育
2017年秋の移転問題のいろいろから、2018年4月「まちの保育園 鎌倉」オープンまで、私自身アクセル全開でも追いつかないほどの充実した学びの日々でありました。と、いう言い訳により、なかなかブログをアップ出来ずにおりました。。。。。
Telacoyaの方はスタッフが全力で「子どもたちのための平常心」を貫いてくれて、2017年度を無事に終えて、しっかりと卒園児を送り出す事も出来ました。
馴染みのある場所ではあるけれど、いつもの保育の場所ではないところでの卒園式。ねらいは「子どもたちの全てが発揮出来る場所を」と言う理由から選びました。卒園児一人ひとりが、自分が出来るようになったことを披露したり、入園してからの思い出を自分たちの言葉で組み立て披露したり、司会は送り出す年中児の仕事だったりと、みんなで手作りの卒園式です。卒園した先輩たちもたくさん来てくれて、卒園後の今の姿を見せてくれました。
自信を持って送り出した卒園児たちが、ランドセルを背負ってかっこいい1年生の姿を見せに来てくれた4月。
Telacoyaにも新しい新入園児さんたちが来て、一層にぎやかに。新メンバーはそれぞれがいい味出していて、おもしろい!進級児たちのオロオロするところが、申し訳ないけど、おもしろい!
そんな中、新しいおひさま(年長児)は毎年の如く、憧れのおひさま、カッコイイおひさまになったと張り切り過ぎて、いろんなことが空回り。憧れのカッコイイおひさまになるのは、1年過ぎた3月なんだよ〜これからなって行くんだよ〜とどんなに大人がゆっくりでいいと思っても、子どもたちにとってやっぱり大きな存在なんだな、おひさまって。頑張っちゃう。
それも落ち着いて来たこの5月連休明け。
毎日の行き先を決めるおひさまの話し合い。なんだか今日は良かったぞ!
それは、すんなり上手く纏まったということでは無く、いい場面がたくさん見れたということ。
一人ひとりが行きたいところと理由を言って、みんなの話を聞いて、その違う意見を飲み込んで、自分の気持ちと相手の気持ちをお腹の中で混ぜ込んで、そして自分の意見をもう一度整理して話す。そんな感じの毎日の話し合い。幼稚園の年長児が上手に出来るわけない!と思われることも多いけれど、これがなんの!毎日毎日 紙1枚を重ねるごとく、重ねて行くと、びっくりするほど中身のある話し合いをするようになって行く。紙1枚より10枚、100枚の方が強くなるのと一緒。
そう言った意味で、今日の1枚はすごく良かった。
逗子beachに行きたかった子、南郷公園に行きたかった子、御霊神社に行きたかった子。この3つに今日は分かれていた。
かけっこがしたいから、南郷公園がいい!と言えば、他の場所がいい子たちは、逗子beachでもかけっこ出来るよ〜と説得。そんなやりとりが続く中で、それぞれのプレゼンが始まって行く。
「南郷公園ではね〜リラックス出来るんだよ」
「リラックスって何?」
「こうやったりすること」(横たわって肘を曲げて頭を支えるポーズ)
「今日はこんなに天気がいいんだから、逗子beachに行ったら気持ちいいよ」
「昨日雨がたくさん降ったから、逗子beachに行く山の道がきっとドロドロだよ〜」
そんな友だちのプレゼンに「そっか〜じゃやっぱり南郷にしよう!」と心が変わったりしながら、最後は南郷公園か御霊神社の二つに絞れて来た。
ここからが中々一つに決まらず、平行線。すると、どうしても南郷公園に行きたいM君が「どうしてみんな南郷公園にしてくれないの?」と泣き出した!
泣き落としか!? それならそれでもいいけど。。。。
泣かれてすぐにM君の気持ちに寄り添う人。
泣かれても自分の気持ちを変えたくない人。
泣いてるのだから、かわいそうなのか?
泣けばいいのか?
話し合いって気持ちを話し合うことでしょ?
子どもたちなりに、いろんな「?」の中でどうしたらいいのかを一生懸命考える姿がとても愛おしかった。
泣いたからと言って行き先はM君に合わせることはしないけれど、ティッシュを取ってきて渡し「泣くのはずるいよ。泣くのやめてちゃんと話して」と優しく話しかける子。
自分は本当は御霊神社がいいけれど、「M君が泣くからM君が行きたいところでいいよ」と言ってくれる子。
「うみちゃん(年中児)たちを待たせているから、ちゃんと話して決めようよ〜」と他の子を気遣う子。
そんないろいろを聞きながら、M君自身「泣き止むからちょっと待って!」「うみちゃんを待たせちゃっているから、僕が南郷やめればいいんでしょ」と揺れる。
その度に「M君の気持ちを言えばいいんだよ」「本当にやめてもいいならいいけど」とみんな。
M君最後に「分かった!僕は本当にもう今日は御霊神社でいい。でも明日は南郷にしてね」と言いましたが、「明日はまた明日話そう!」ってことに(笑)
やっとやっと50分くらいかかって決まって、うみちゃんに報告。待ってる間にうみちゃんたちが、部屋のおもちゃを全部キレ〜イに片付けてくれて、ハンカチ落としして遊んで待っていてくれました。
おひさまは、「遅くなってごめんね」「片付けてくれてありがとう」「明日はもっと早く決めるようにするね」などと口々にうみちゃんに言っていました。
今までのおひさまたちも毎日のこの話し合いを通して、相手の気持ちと自分の気持ちの間で揺れ動く「自分の気持ち」を知り、そんな中で「折り合い」をつけることを重ねて来た。ルールはただ一つ。おひさま全員の意見を出し合って一つに決めること。それだけ。時間かかってもいい!時間かかり過ぎて、せっかく決まったのに、そこには行けなかったこともあったし、絶対に折れてくれない1人を9人で説得していたようだったのに、たった1人のプレゼンがポロリポロリと人の心を動かし、9人が8人になり、5人になり、最後は大逆転!ということもあった。
多数決でもなく、ジャンケンでもなく、どんな形でもいいから 話し合って決める。
たった一人になっても自分の意見が言えるように。
たった一人の意見でも心からきちんと聞けるように。
まぁ過去には「みんな〜お願い〜❤!チュッ!!」で落とした子もいましたけどね(笑)
3月の卒園までのカウントダウンがもう始まっている。
今日の紙1枚が、たくさん重ねる紙の下の方で大きな存在になるだろうな。

*写真は子どものメモを連絡ノートにお母さんが貼って来てくれたものです。
その子は、、、、、、
自分のまわりのみんな、世の中のみんなは繋がっているんだよと教えてくれたそうです。
本当に世の中の人たちみんなが同じ思いでいてくれたら、どんなに良いだろうと思います。
この気持ちを大人になっても忘れないでいてほしいです。とお母さんから。
本当にそう思います。何処かで誰かと繋がっていることをヒシヒシと感じます。いつも必ずその繋がっている誰かが何処かで助けてくれます。今もそうです。
この気持ちいつもまでも、大切に持っていて欲しいです。
2017年11月20日(月) | 保育
年度をまたいで勉強しに行かせてもらったアメリカから戻って、すぐに動き出した移転計画。
候補地から場所を絞っていくつもの出会いの中で決めた場所がありました。
夏には購入の契約もローンの契約も済ませて、そこにある古いお家をリノベーションする予定でしたので、保護者のみんなで壊して、作り上げようと計画していましたが、諸般の事情から断念。
保護者のみなさまや新年度入園のみなさまに発表してからの断念。
土地の購入や工事、諸々関係者の皆さまにも大きなご迷惑をおかけしました。
その決断の際、スタッフ一同は「一点の曇りもなくついていく」と言ってくれました。保護者の皆さんも「場所で選んだわけではないのだから、、、、」「どこになっても協力します」「決断までの気持ちを考えると一緒に苦しくなります」などと言ってくださいました。
全ては私の不徳の致すところです。
現在まだ次の候補地を探している最中です。
しかし、現在も難航中。
簡単なことじゃない。わかっていたつもりではいたけど、わかっていなかったのかも知れない。本当の大変さを。。。。。
そういう自分が試されている気がする。まだまだ未熟なのだと。
グンと候補地の範囲を広げてみたり、今のところで行えていることに心から感謝しながら、考えを広げたり縮めたりの毎日です。
このような中でも進んでいる「まちの保育園かまくら」への取り組み。
こちらに関わらせて頂くことで、新たな刺激を頂きながら邁進して行きたいと思います。自分たちが信じて来た保育に満足してしまうことなく、自分たちが井の中の蛙にならないように。たくさんの客観的なご意見を頂きながら。
どのような結論になっても「子どもたちのために」だけは変えずに進んで行きたいと思います。
2017年10月07日(土) | 保育
telacoya921は現在移転を考えております。
この住宅地のど真ん中で初めて7年。次の4月で8年目を迎えます。
移転を考える理由は、今のままのtelacoya保育を継続しつつ、海にも山にも歩いて行ける中で、目の前に畑があったり、もっと電気や水のことを考えたりする拠点にしたいと言う気持ちがあったからです。
またこの春にアメリカで学んできた知識を活かしたく、その可能性も見いだせる場所を帰国後すぐに探していました。
スタッフとそれらのことを進める中で、他にも今までにないような様々なチャンスを頂き、スタッフ一同で考える機会を多く持つことが出来ました。
それは、私たちが「子どもたちのために」と言うたった一つの目標のために今まで邁進してきた保育を見つめ直す機会にもなりました。
もう一度原点に戻ることも出来ました。
その上で、私たちは変わらず「子どもたちのために」だけを大切に保育をしていきます。
何事にも、最初に始めようと思ったその時に大切にしたいと思ったことがあるはずです。
例えば、政治家の方だって、最初は、、、はじめの一歩の時は、「国民のために」「市民のために」「人のために」「困っている誰かのために」出来ることをしようと立ち上がるはずだと信じています。それでも、中に入ってみたらそこにあるものに巻かれて思うように動けなかったり、目的に向かうために不本意に感じることをしながらものすごい遠回りを強いられたり、中にはお金と権力に負けたりする方もいるのだと思っています。それでも目的に向かうことに対してブレずに進み続ける方もいると思います。簡単なことではないと思いますが、最初に大切にしたいことは何だったのか?自分に問い続けることが大切に感じます。
私たちは「子どもたちのために」このたった一つを追求する園を作りたいと思って来ました。
そのために、自分たちは良いと思っているこのtelacoyaの保育をどうしたいと思っているのか?
広げて行くのか?
深めて行くのか?
私たちの出した答えは深めて行くと言うことでした。
小さな園だけど、ここから出て行った子どもたちのねっこを作っていると信じているから。
そのねっこを広げるのも、枝葉を広げるのも、あとはその子次第。
「ねっこのちから」を信じている。
卒園児の保護者の方からこんな話を聞きました。
卒園児のAちゃんのクラスには、発達が少しゆっくりでみんなの手伝いが必要な友だちがいるとのこと。その子に対して、クラスの友達は赤ちゃん扱いな言葉を使いながら、出来ないと決めつけて全部手伝ってしまうことに違和感を感じていると Aちゃんがお母さんに言ったそうです。みんな優しくて手伝おうと言う気持ちに溢れていて悪いことをしている訳ではない。でも、Aちゃんは「あの子はきっと待っていてあげたら、ゆっくりでも自分で出来ると思うんだ。でも待ってあげるより、みんなはやってあげちゃう。どう言ったらいいかな?」と。
telacoyaでは縦割り保育で、大きい子が小さい子を助けることが常となっていますが、全部やってあげちゃうのは小さい子の出来る可能性を無くしてしまうことだから、どこまで出来るかな?あ、困っているな?でも自分でやろうとしているかな?そろそろ手伝った方がいいか声掛けようなか?と「見守りながらのお手伝い」を心がけるように伝えて来ました。
小さくても出来ることもある。
そばで誰かが暖かい目で見ていてくれたら、やってみようと思えることもある。
出来た時に側でにっこり「出来た」を共有してくれる人がいると、一人で出来た時よりももっと嬉しい。
Aちゃんは在園時からこのような感性を持ち合わせた子でしたが、卒園してからもその視点が変わらなかったことをお母さん自身が嬉しかったと伝えてくれました。
お母さん曰く、3年生にもなってすっかり小学生らしくなり、それはそれで当然のことながら生意気にもなって来たそうですが、「あ、これってtelacoyaだ!」と思える今回のことがやっぱり嬉しかったそうです。
これを聞いた私たちはやっぱり「ねっこのちから」を信じて行こう!と改めて思えるのでした。
人に優しくしなさいと教えられたら、子どもは人に優しくしようとする。
本当の優しさとはどんなことか?
その人がして欲しいと思っている優しさとはどんなことか?
自分がしてあげたいことと相手のして欲しいことは同じかな?
ねっこの部分をしっかりと伝えて行きたいと思います。深く心に残っていくように。そしてそのねっこを持った子どもたちは、枝葉を広げる中で、時には大嵐にあって幹が折れてしまうこともあるかもしれない。それでも大丈夫。しっかりとねっこを張っていたら、また葉を出し、枝を広げることが出来るはず。何度でも。
子どものねっこのちからを信じるためにも、そのねっこがヒゲのように細い頃から大切に育てたい。ヒゲのような細いねっこが進めなくなったら、そっと気づかれないように土を掘り返しておきたいし、自分で進めるちからを持ったなら、美味しい土をそっと気づかれないように足してあげたい。
子どもたちのために、子どもたちの「ねっこのちから」を育む大切な仕事。
そんな仕事につけて本当に涙が出るほどシアワセです。
2017年07月18日(火) | 保育
telacoyaでの保育はただ森の中や海、山と言った自然の中でさえ遊ばせていればいいと考えているのではない。
このことをどのように発信していくべきか、ずっと悩んでいました。
telacoya的な保育というのは、海や山に行くことだけを指しているのか?そうしたいのか?
何かが違うということをどう表現すべきなのかと考えていました。
スタッフ間で話し合った結果、私たちが関わる大人として一番大事にしているのは、ありがたい環境に恵まれていることに感謝しながらも、何よりも「子どもたちで育ち合う」ことを見守り、最優先に考えながらも、必要な時にはきちんと方向を示すことが出来るプロの目をなることだというところに行き着きました。
では、それは何のためか?
子どもたちが子ども同士で学び合うことには素晴らしい力があるからです。こんなことは幼児教育に携わっている人たちにはとっくにわかっていることでしょう。
大人の指示で学ぶのではなく、子ども同士の関わり合いの中での学びです。
そのチャンスが日常の中にもいっぱい溢れていますが、自然の中で遊ぶ時にはもっと多くのチャンスがあるということが、telacoya的な保育の特徴なのかもしれません。
遊びの中でも、生活の中でも「決断をする時」があります。
自分で決める。
友だちと決める。
友だちと決めるからには、きちんと一人ひとりが意見を持ち、それを発言し、相手の発言に耳を傾けて、話し合う。そして違う意見も全て大切。その中で折り合いをつける。
このことがtelacoyaでは徹底されています。
内容に大なり小なりの違いはありますが、どの学年でもあります。
例えば、小さいクラスの子どもにも言います。悲しいことや嫌なことがあったその気持ちをしっかりと受け止めつつも、いつまでも泣いている子には「泣くのをやめられるのは自分だよ」って。
泣くのをやめると決めるのは自分。誰にも出来ないこと。
泣くのをやめられたら、それは自分で自分の気持ちを整理して前に進めるチャンスになることを知る。
こう言った場面が毎日たくさんあります。
ある本に書いてあったのは、こう言った「自制心」「困難に出会ってもそこから立ち上がる力」「人とのコミュニケーション能力」などを非認知能力というのだそうです。
では、認知能力とは何か?
テストの点数など、数値で評価される能力を指すそうです。いわゆるその子の勉強の成果を他人にもわかる数値で評価されているものです。
認知能力は反復するなど学習に対する取り組み方次第で上がっていくものです。
では、非認知能力はどのようにして上げて行ったら良いのでしょうか?
これが実は幼稚園、保育園などの幼少期の環境によって身につく能力なのだそうです。その大切な非認知能力への過小評価が今、問題になっていると書いてありました。
要するに、学力を上げるために勉強をする。その学習を根気よく続けるためには「自制心」や「くじけない心」などが必要だと言うことです。
幼少期に大人に決められたものをなんの疑いもなく取り組む子は、一見扱いやすいかもしれませんが、その先に自分で決めて進めたり、止めたり、方向転換をしたりすることをいつ覚えるのだろうか?
しっかりと年齢に応じた決め方、思いの伝え方、相手の思いを知ること、折り合いをつけること、などを育てる環境を作ることが大人の大切な役目だと感じています。