チームで保育をすると言うこと

2018年12月29日(土) | 保育

2018年もあと2日となり、平成が終わると同時に年賀状を終わりにする人が多いというニュースなども流れ、来たる2019年という年は何か日本にとって一つの節目のような年となるのだろうか?

いろいろ難しく考えると困難なことや取り組まないといけないことは山積みであるが、結局人の出来ることなんて高が知れていて、しかも私一人が出来ることなんて豆粒くらいのものである。でも、その豆粒くらいのことも山となればお茶碗一杯分くらいにはなり、それさえも積み重ねていけばバケツ一杯くらいにはなり、、、、と意外に大きな力になると言うことは、子どもたちとの毎日を過ごしていると日々感じるところである。

保護者の皆さんにもよく使う言葉で、紙一枚も重ねていけば紙とは思えない強さになると言うこと。

子どもの育ちって正にこれだと思う。

紙を重ねる早さはそれぞれ違うけれど、やっぱり10枚分の出来事は、10枚重ねた人にしか分かり得ない。ゆっくり10枚重ねた人、パッパと10枚重ねた人、出来るけれどじっくり重ねたい人、どんどん重ねてその先をどんどん見たい人。10枚重ねた先に見える世界はどう違うのだろうか?

そう言っている私は、そもそもじっくり重ねるより、どんどん重ねて次の世界を見たいと思っている性格だと自分では自覚しているが、この仕事をずっと続けてきて、そして、特にTelacoyaを始めてみて、紙一枚をしっかりと重ねる強さのようなものを実感することが多くなった。紙一枚をしっかりと重ねた強さは、鉄一枚よりも時には優位になることもある。強度では勝てないかも知れないが、重さでは勝てるし、重ねて行くと言う過程がある分、その出来上がった厚さ以上の付加価値があるはず。

重ねていく中で、身についた様々な事柄がその厚さで補えないものを補ってくれるはず。

ここ1年くらいの間にたくさんの困難に出会った私に、ある人から、「こんなに大変そうなのに、出来ない理由を探すより、出来る方法を探す人ですね」と言われたことがある。やりたいことをやりたいからやれる方法を探しているだけなんだけど、、、と思った。やりたい!でも出来ない。だったら〜とあまり回らない頭をフル回転させて、頭のてっぺんから湯気をシューシューと出しながら、何かうまくいく方法を考える。

そんな時に、私の性格が出て、だったら〜と考えた先にパパパパパ〜と紙を重ねて、ポーンと遠くまで飛んで行こうとするときがある。それならはじめの一歩は、最初の一枚は、何するべきか?と考えた時に、そのポーンと行ってしまった遠くの場所から自分の足元まで視点を戻すと、地道な内容が見えてくる。でも、それを重ねないでポーンと大きなものを乗せたのであれば、途端にバランスを崩して元も子もない状態になるであろうと言うことは、私にだって分かっている。だから、先を見た目線は常に足元に戻るわけである。

でも、いくら地道に重ねることが必要だからと言って足元ばかり見て進むなんてつまらない。それでも一歩一歩行けば、ついには千里の道も一歩からと言うように、いつかはどこかにたどり着くのだろうけれど、つまらない。そう言うタイプの人を心の底から尊敬するが、私にはつまらなくて出来ない。。。。

そんな風に考える私が今は二つの園を運営させてもらっている。たまに会う人が「すごいですね〜」などと言うが、すごいのは私の二つの園のチームなのだ!もちろん私の思いに賛同してくれる人たちが来てくれているので、そのチームを持っている私が「すごいですね〜」とか言われてしまうのかも知れない。

しか〜し!!!

私には到底出来ないような地道なことが大好きなスタッフがいたり、
私がポロポロこぼす物を拾ってキチーンと整理してくれるスタッフがいたり、
私がポーンと遠くに行きそうな時は「ほれほれ、、あなたちょっとちょっと」と
気づかせてくれるスタッフがいたり、
私のそのスピードに必死でついて来てくれるスタッフがいたり、
私の私生活まで心配してくれてご飯を届けてくれるスタッフがいたり、
違った視点でおもしろいアイデアを出してくれるスタッフがいたり、
自分の能力以上のことを課せられても「やってみます!」と苦しいだろうに笑顔で受けてくれるスタッ
フがいたり、
私がやらなくてもこのチームをまとめておいてくれるスタッフがいたり、、、、、

経理事務チームも、保育園の調理チームも、みんな一緒の一つのチーム。

今や30名弱のスタッフのチーム力が「すごい」のである。

2園の仕事納めの日に、それぞれの園でお疲れ様の会を企画してもらったが、どちらの園のスタッフも「保育が楽しい〜!!」「こんなにいいチームのメンバーになれて本当にシアワセ!」と言ってくれた。

職場として、ここしか知らないあるスタッフは研修で出会った人にいろんな話を聞いて「あら〜これは当たり前じゃなくてすごくシアワセなことなのね〜」と知りました、、、と言う話も出て大笑い。

毎日ゲラゲラ笑って、でも話し始めると真剣に「子どもにとって」の議論は白熱するような大人たちの集団を二つも持っている私は「すごい」のではなくて「すごく」シアワセなのである!

この素晴らしい仲間たちと一緒に、Telacoyaの保育とは?と言う議論をもっともっとみんなで深めながら、2019年も変わらずに「子どもたちのために」進んでいくのである。

Telacoya921に関わった、保護者の皆さんはじめ、たくさんの職種の皆さんにも感謝の気持ちで一杯です!!(もしや俺か?私か?と思った方はビンゴ!ですよ〜)

2018年ありがとうございました。

2019年も どうぞよろしくお願い致します!!

皆さまどうぞ良いお年をお迎えくださいませ〜

子どもの考えるゴミ問題とは?

2018年11月23日(金) | 保育

年長児の小学校見学が続いている。

自分たちの入学する小学校を出来るだけ見学させてもらい、授業を見せて頂いたり卒園した先輩たちの様子を覗かせて頂いたりしながら「小学校」に通う自分たちのイメージを膨らませている。

そんな中、先日見学に行かせて頂いた小学校に6年生が取り組んだ「プラゴミ問題」の大きな展示があり、亡くなったカメや大きなクジラからたくさんのビニールゴミが出てきた写真を見てきたことが印象に残ったようで、子ども同士の会話に「プラゴミ」という言葉がよく出てきた。

以前にも折に触れて話してきたが、年長児のこの時期だということ、そして、小学校での展示ということが重なり、グッと話が深められるようになってきた。

今日の子どもたちの会話の一部。

「この前のクジラのお腹から出てきたビニールとかは、誰かが落として風で飛んで行って、川に落ちて、それが海に行ってしまって食べちゃったんじゃないかな?」

「それじゃあ、ポケットからゴミを落とさないで下さいってtelacoyaのみんなで看板つくって町中に貼ったらいいんじゃない?」

「ゴミを捨てる悪い人は海に来ないでくださいっていう看板も作ろう」

「看板を作る人と海とか町中とかに貼る人と分かれてお仕事すればいいんじゃない?」

「その看板も飛んで行っちゃうとゴミになっちゃうから、木とかブロックとかレンガとか針金で絶対絶対ぜーーーーーーーったい飛ばないようにしないとね」

「紙は水に溶けてゴミにならないけど、木は土になるから大丈夫なんだよね?じゃ、ブロックはゴミにならないの?針金とかは風で飛んで海に行ったら危ないんじゃない?」

「そうだよ、だから看板に針金は使っちゃダメだよ」

「じゃ飛ばないようにすんごいボンドでつけよう」

「私はおうちのゴミを「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」と分けて捨ててるよ」

「燃えないゴミって何だろう?」

「ビニールとかだよ」

「燃えないってことは溶かせばいいんじゃない?」

「溶けてもなくならないじゃん」

「じゃ、石で細かくこうやって目に見えないくらいにしたらいいんじゃない?」

「何でもゴミになっちゃうから、スーパーとか行かないでみんなレストランでご飯食べればいいんじゃない?」(とりあえず 家からはゴミが出ない ということね 笑)

「でもレストランの人もキュウリとか買わないといけないじゃん。そうしたら袋がゴミになるよ」

「じゃ、袋いりませんって言えばいいじゃん」

「スーパーのビニールの袋を穴が開いたら、テープでとめて、すぐに捨てないでずっとずっと使えばいいじゃん」

「それじゃあ!いいこと考えた!!キュウリはみんなおうちで育てればいいんだよ!そうしたら、食べちゃうから、売らないから、袋が要らなくてゴミが出ない!」

「それいいね〜」

「でも、どうしても買わなくてちゃ育てられないものもあるよね」

「そういう袋も大事に使えばいいんじゃない?」

「でもまた穴が開いたら使えないからゴミだよね」

「ゴミにしちゃいけないから、家の中にそう言う使えないものを入れる箱を作ってそこに入れておけばいいんじゃない?」(それをゴミ箱っていうのではないでしょうか??笑)

「でもいっぱいになっちゃったらおうちがその箱だらけになっちゃうよ?」

「ビニールとかは、水に濡れなくて便利だから家中に結構あるよ」

「便利なんだから、ずっと使えばゴミにならないんじゃない?」

「便利だけど、ゴミにしたらクジラが死んじゃうんだよ!!!」

「じゃ、絶対捨てるよやめよう」(決意!笑)

「ずっとおうちに隠しておこう」(隠す?笑)

「燃えるゴミはどこで燃やしているんだろう?」

「燃えないゴミはどうするの?」

などなど。。。。。

 

 

目に見えないくらいの小さくなったプラスチックが海で魚のお腹に溜まってしまったら、お魚食べているみんなは、、、、、、と言うと「やだ〜!!!」「人間もプラスチックを食べてるってこと?」「じゃクジラみたいに死んじゃうかもしれないじゃん!」

 

燃えないゴミはどうしていると思う?と聞くと「ゴミ収集のおじさんたちがいるところで聞いてみようよ」と言いだし、「カロリが電話して子どもたちが行ってもいいですか?って聞いてくれる?」と言うので、「いいよ」と答えた。

さぁ これからこのゴミ問題をどう考えて行くのか?

是非クリーンセンターに行ってみよう!

大人の人も「どうしたら一番いいのかな?」ってすごく考えていることだから、簡単なことではないけど、みんなの意見すごくいいね みんなで考えることってすごくいいね と伝えたら嬉しそうだったな。

 

クジラやカメを死なせてしまったのは人間だから、、、とちゃんと分かっている。

だから、こんなに真剣に話し、いろんな想像を膨らませて、もう一度そんなことにならないようにしようと一生懸命なのだ。

やっぱり未来はこの子どもたちが作って行くんだな。

 

頭飾りと髪飾りは違う

2018年10月10日(水) | 保育

今日はおひさまの日。

今年のおひさまが、自分たち企画で迎えた初めてのおひさまの日。

「自分たちでお弁当を作る日」

空のお弁当箱を持って来て、昨日話し合った材料で作り始めた。

お米を研いで、野菜を切って、、、、

そんな和気あいあいの中の会話。

Aちゃん「この頭飾り自分で作ったんだ〜」

Bちゃん「え!ほんと!かわいいね〜」

Cちゃん「頭飾りと髪飾りは違うよね〜?」

Bちゃん「え?同じじゃない?」

Cちゃん「え〜同じじゃないよ!頭ってここのことじゃん、髪はここじゃん!」

Bちゃん「でもさ、髪の毛は頭に生えているから、頭の仲間じゃん」

Cちゃん「でも、これが頭で、ここが髪じゃん。一緒じゃないよ!ね〜」

D君「え〜そんなのどっちでもいいんじゃない?頭の仲間なんだし」

Cちゃん「どっちでも良くないよ!頭と髪は違うんだから!」

延々と聞こえてくる 髪は頭の仲間かどうかの会話に私の耳は釘付けになり、結論の出ないまま話が流れて進み、違う話になってしまったことが、残念でならないのは大人の私だけだろうな。

出来たお弁当を持って、気持ちの良い第二古墳へ。

海と空を眺めながら、山道歩いているうちにグチャグチャになってしまったお弁当を食べる子どもたち。

11月に迎えるお泊まり保育の話になったり、海ちゃんたちに教えてあげたいいろんなことの話になったり。

もう、髪は頭の仲間かどうかなんてことはどっか行っちゃったよね。

 

 

海がなくても、山がなくても保育で大切なことは変わらない

2018年09月24日(月) | 保育

ここおうちえんtelacoya921を立ち上げてから、ずっと考えていたことがある。

まずは私のこの土地との関わりから。

私は両親が逗子に家を建ててくれてから、父の転勤の関係でなかなか逗子には住めず、宝塚、浦和と移り住んで、そこではいつも「ここが一番!」と思って外を駆けずり回って遊んでいた。そして、小学校最終年の時にやっと逗子に引っ越してきた。

それから、小学校、中学校、高校と地元にベッタリ。都内の短大に進学してからも、高校から始めたウィンドサーフィンにハマりまくり、すぐに逗子の海に戻りたくて帰って来てしまう。

その後ずっと続けたウィンド、そして30歳半ばから始めたヨット、合間に下手くそなサーフィン、そしてプロウィンドサーファーだった先輩がいち早く取り入れたので、結構早くから始めたSUP、そして運命の出会いとも言えるサバニと海の遊びを続けて来た。

合間に山へ。キャンプ、登山、マウンテンバイク。幾つになっても外遊びが大好き!

そんな海山一色の生活の中で、続けた幼稚園教諭、保育士。子どもたちに海の怖さと楽しさ両方を伝えたい、日々の保育の中にこういう自然の中での教育を取り入れたいと既存の園に懸命に訴えて来た。会社のように企画書を出したこともある。

その熱い想いに答えようとしてくれた園長先生にも出会えた。

しかし、立地的にやはり海や山は「わざわざ行くところ」である。

どうしても「遠足」的な要素が取り払いきれない。

たまに行くから、危険だったりする。だから、やっぱり危ないところになってしまう。

このループから抜け出すにはどうしたら良いのだろう???

そう考えるうちに、自分が育ったこの逗子葉山の環境の中で海と山と川を使った保育がしたいと言う思いがピークに達して、2011年4月におうちえんTelacoya921を立ち上げることにした。

今年は鎌倉でも企業主導型保育の保育を委託して頂き、保育園にも取り組んでいる。

鎌倉も逗子葉山同様 自然豊かな場所である。子どもたちは、池にザリガニ釣りに行ったり、海に行ったりとやはり自然に助けてもらいながら、豊かな環境の中で過ごすことが出来ている。

でも、ずっと考えて来たことがある。

海や山が無ければ豊かな保育は出来ないのか?

海や山の環境に助けてもらいながらの保育をやって来れたので、今度はこんなことを思い始めた。

海と山さえあればいいのか?

私は20歳で短大を卒業してからここまで30年以上(*ちょっとブランクがある理由は次回に)保育に携わって来た生粋の現場大好きな大人である。

どんな園にいた時も、目の前の子どもたちの興味関心の方向を知る為にアンテナをビンビンに張り巡らせて、子どもたちからの言葉を一つも取りこぼしたく無いと思うくらいにキャッチして、その子どもたちのヒントのような言葉から、想像力を膨らませて「こんなことになったら、楽しいんじゃない?」と思うことをやって来た。時には私の一人暴走で終わってしまうようなことも若い頃はあった。想いが強すぎて子どもよりも先に走ってしまっていた感覚がある(笑)

こうして、たくさんの失敗も重ねて、子どもたちの自由さの中で大人が前に出て指導することに違和感を感じ始めた。そこから様々な保育への模索が始まり、たくさんの自由な園、環境が素敵な園などを自分の有給を使って見学に行った。

実際にやってみると、、、、
海や山では、自ずと子どもたちが自分たちで決断する場面が多くて、自分たちの決断から学ぶことが多い。今、止めよう。まだ、行ける。このシンプルな判断が実は大きな学び。

その中でも、仲間がいると一歩勇気が出たり、いつも以上の力が出せたりすると言う場面を多く見て来た。

子ども同士が「育ち合う」場面だ。これは、大人には出来ない。そこに対等に存在することは出来ない。子どもの相手は仲間、子どもでなくてはならない。

だから、今の経験を重ねて来て思うのは、もちろん海や山や川といった環境がこの経験を大きく助けてくれる重要な役割を持っていることは絶対だ。

しかし、日本中、そう言う海山川が全て揃っている地域で無いと「豊かな保育」は出来ないのか?

今ははっきりと言える。その答えはNOである。

そこにいる大人の質の問題では無いかと考える。

逆を言うと、海山川が揃っていたって、大人の保育そのものへの質が低いと、子どもの大切な育ちあいを壊しかねない。

海山川に助けてもらってその保育の質そのものの低さが分かりにくくなるだけで、豊かな保育にはならないと考えている。

豊かな保育とは?

どれだけ、子ども同士の「育ち合う」学びの土壌を大切に出来るのか?大人が邪魔をしないで。

大人が邪魔をしないと言うと今度は全てを子ども任せにするだけになりがち、これはちょっと違う。

ちゃんと一人ひとりの子どものことを見守りつつの野放しと言う感じが子どもたちには一番いいと感じている。

2歳児くらいになると「見てて〜見てて〜」と言っては、自分に出来ることをして見せて どお?すごいでしょ〜と言わんばかりの笑顔でこちらを見る。

特にコメントを求めているわけでは無いのであろうが、つい大人はそこで何か言ってあげようとする。

見ていないと、または見てても心のこもっていない言葉がけなどすると「もう一回やるから見てて〜」となる。何度でも何度でも!

距離感としてはここの感じ。大きくなって行って「見てて〜」を言わなくなっても目と心で見ている。

友だちとの関わりの中でのトラブルも、「あ、今嫌だっただろうな〜」「あ、今の口で(言葉で)負けてるから手が出たんだね〜気持ちは分かるわ〜」「あ、前だったら手を出していただろうに、我慢しているみたいだな」「あ、そんなに自分の気持ち言葉で言えるようになったんだ」「え?そこいいの?許しちゃうんだ〜」と目と心で見ておく。

何かにチャレンジする時も、「お、やるって言ってたけど、あの表情は、、、、心折れそうなのかな?」「あれ?やらないって言ってたけど、友だちがやるからやることにしたんだ〜」「ん〜何にも考えていないでチャレンジしようとしているように見えるが、、、、直前で気持ち変わったりするのかな?」「よし!行け!頑張れ!」と目と心で応援する。

その次に大人が何かをしてあげるのではなくて、周りの子どもたち同士でどのように関わり合って、どのように乗り越えて行くのかを、きちんと見守り、見届ける。

もしかしたら、乗り越えるのは在園中ではなく、to be continue〜となってしまうかも知れない。要は結果が出るのは小学校に行ってからかも知れないし、大人になってからかも知れないと言うこと。

それでもいいのだ!

海山川が無くても、このエッセンスを大切にするだけでも、きっと素敵な保育は出来るはず。

大人が自分の思い通りに動かない子どもたちにイライラしたり、そのことでどんどんルールを増やして行って、ルールだらけにしたのは大人なのに、それを守らないといけないと言うことにビクビクしたりする子どもが増えないように。

たとえマンションの1室での保育でも、子ども一人ひとりをしっかりと大人が目と心で見て行けばきっとそこにいる子どもたちは子ども同士で育ち合うことが出来てシアワセである。

そう信じている。

だって、プロの保育士たちが一人ひとりの子どもを目と心でしっかり見ることが出来たら、その次にすべきことは分かるはず。

悩んだ時は、いつも同じ。

うちのTelacoyaのスタッフもそう。「子どものためにはどっちがいいの?」

そう考えると、答えは一つしかない。

その出ている答えの通りにする為に、出来ることを探せばいい。

出来ない理由を探す必要はない。

だから、海がなくても、山がなくても、豊かな保育は必ず出来る。

保育における海や山の自然環境とは、大人の足りない部分を助けてくれているものに感じる。

それを立証する為にも、今度はそう言う場所での保育にチャレンジしてみるのもいいかもしれないな。

プロなんだから。

 

 

海は怖くても楽しい!

2018年09月19日(水) | 保育

今年はなかなか海況の良い日と予定が合わず延期になって来たシーカヤック!

やっと海に出られました!

しかし、遠い遠いところにある台風22号のウネリがばっちり入っている葉山。ピークよりは落ちて来ているものの、判断が悩ましいところ。

風はほとんど無し。

いつも海のことを一緒にやって頂ける オーシャンファミリーと協議の上、時折入る大きなセットをやり過ごしての出艇と帰着で大丈夫だと判断し、海に出ることに。

いつもの葉山公園から大浜を見下ろす。

セットの間隔を年長児と数える。

1、2、3、おお!4つ目の波大きいぞ〜と子どもたちが叫ぶ。

セットが終わり、波が無くなる。そしてまた次のセットが綺麗なラインとなって見えて来る。

1、2、3、4、5、、、、うわ〜さっきの4個目よりも大きいのが来る〜〜〜と大興奮。

セットが終わるとまた波が無くなる。

そして、自分たちが出る長者の海岸を見る。

あれ?あそこには波があんまりないぞ!なんでだ?

するとHくんが「あそこすげ〜〜〜!」と小磯の先を指差す。

ちょっとビビリ気味になる子どもたち。

よし、じゃ、長者に行くよ!と声かけると「はい!」と気の引き締まった声で返事する子どもたち。

オーシャンファミリーの皆さんにご挨拶をして、自分たちでチームに分かれて年長児より出艇。

張り切る気持ちと裏腹にちょっと緊張している気持ち。両方が混在しているのが手に取るように分かるけれど、小さい子たちの前ではカッコつけちゃう年長児。

「俺たちが先にやるから、見てて!それで怖い人は乗らなくていいから。」なんて言っちゃってる。

セットの合間に1艇ずつ出艇し漕ぎ出す。波の影響の少ない場所で待機して、次々と合流。

合流するまでは何も声を出さなかったのに、仲間の顔が近くに見えて来ると「おーい!おーい!」と声を掛け合い、笑顔が見えて来る。

一気に緊張が溶けて来る様子が手に海上を飛び交う声から伝わって来る。

どっちを漕いだらどっちに動くのか?いろいろ確かめながらグルグル回る。海の上を自由自在に自分たちで漕ぎ進む。

どの艇も後ろの大人たちは漕がず、年長児だけで漕ぎ進める。

他の艇から大人の様子を見た子どもたちの目には「大人は全員サボっていた」と見えたらしい(笑)

大人は「次どっちに行く?」と聞くだけ。

こっちだ〜あっちだ〜と漕ぎ進め、目的のところに着くと、今度はあっちに行こう!と漕ぎ続ける。

気づけば、緊張よりも誇らしいような自信に漲っている姿になっている。

弱ったウツボちゃんが海の表面に時折顔を出しながら泳いでいるのを発見。自分たちでカヤックを操り側まで行って見てみる。(本当はちょっと手伝ったけどね)

次は海ちゃんたちに交代しようか?と一度浜に戻る。

乗り方、漕ぎ方をしっかりとレクチャーしてくれるおひさまたち。

ドキドキしながらもうみちゃんたちも海へ!

頑張って漕ぎきる子、遊覧船状態の子といたけど、おひさまと一緒のことが出来ることが何よりも嬉しそうだった。

戻って、またおひさまと交代。

海の上から見る空に広がる雲、三ヶ岡の山々、沖で大きなウネリを乗り越える感覚、浜で待っている後輩たちの声。

どれもが子どもたちの身体中に染み込んだはず!

オーシャンファミリーの皆さん ありがとうございました!!

 

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