石巻ボランティア ① 石巻はこれでもボランティアが多く入っているほうだそうです!これでも………

2011年05月22日(日) | ボランティア

 

 

先週末13日金曜日の夜11時に横浜駅に集まった約120人のボランティアの方たち。その中の1人として、みなさんと3台のバスに分乗して石巻に向けて出発しました。今回主催して下さったのは、国際救急法研究所の宇田川さん。ご自身が災害ボランティアとして、今までにも阪神、中越、奥尻などの地震災害、また、水害災害などの際にも多くのボランティアの方たちと現地に入り活動されて来た方です。

なぜ参加したか?

3月の震災以来、この葉山の地で出来ることはして来たつもりでしたが、まだまだ何か出来ていないような気持ちが心の中にありました。ただ、現地にボランティアで入るのは、未経験な上にどんなに体力に自信があっても女性だということもあり、現地に行って迷惑になるようでは本末転倒だと思い、なかなか踏み出せないでいました。でも、こうして一度も経験しなければ、ずっと未経験。ここは思い切って参加をしてみよう!そして、参加をしてみてからまた、出来ることを考えよう!と思うようになりました。

 

石巻に到着

バスは早朝に石巻に到着し、ボランティア拠点となっていた石巻専修大学へ。(現在はキャンパス開放は終了し、拠点は近くの公園に移りました)そこは、自衛隊のテントの並ぶ通りを隔ててたくさんのテントが点在するキャンプ場のような光景でした。駐車してある車は、様々な他県ナンバー。各地からボランティアをしに個人でやって来た方たちがテントで自炊をしながら、拠点となっているボランティアセンターで必要としている活動を把握し、作業をしているのです。

私たち一行は、今回は120人という団体での受け入れをしてもらうことなどもあり調整をして頂きました。私たちが作業をしている間に空になったバスを利用して、被災者の方々を近くの温泉にお連れして入浴をして頂くという活動もあり、入浴に付き添う方を除いた残りの約110人が11チームに分かれて作業をすることになりました。その場で経験者を中心にリーダーを11人決めて、自分でリーダーのところに並び、チーム編成終了。

女性でもいいんですよ!と宇田川さんをサポートしている大尾さんというパワフルな女性に声をかけられ、初めての参加にも関わらずリーダーをすることに。つたないこのリーダーを支えよう!と思って下さった奇特な方たちが、私の前に並んで下さいました。

 

作業開始!泥出し側溝編

大街道小学校に移った私たちは、地図を頂き、チームごとに担当する路地を確認。横浜から出発した私たちに加え、埼玉県行田市からいらしていたボランティアの40人と一緒に作業をすることになりました。

自衛隊が重機などを使い終わった路地を中心に手作業を行うのが私たちの仕事。今回は①各担当の路地の側溝の汚泥を出すこと ②その際近所のご家庭の要望をお聞きして、お手伝い出来ることを吸い上げる 以上の2点が活動の中心となるようにという指示を頂きました。

早速、小学校から指定された路地に入ると………私たちのチームが担当した路地には、まだ各ご家庭から出た土嚢袋が側溝の上に大人の胸の高さくらいまで積み上がっている状態。側溝が見えている所からとにかく始めよう!とバールで側溝をあげていると、家の片付けにいらしていた方が「これ使うといいよ」と側溝板上げ機?のような機械を貸して下さいました。側溝板を挟めるようになっていて、その機械で側溝板を挟み上げ外していくものです。瓦礫の中から、見つけてきっと使うことになると思って直してみた……というそれは、鉄製で実際にあったはずの長いバーなどは折れて無くなっており、拾った木とヒモで補強してあるものでした。側溝板を一つ外すたびに、補強した部分を再度補強し直さなくてはならず……でしたが、とても便利なものでした。初めて使い方を習い、帰る前に側溝を閉める時には「使ったことあったの?」「上手になったね」と褒められるくらいに扱いが上達しました。

側溝が開くと泥だしです。角スコップや専用の器具ですくい出すのですが、マスクをしていても感じる強烈な臭いと腕に応える重さ。土嚢袋の口を開いていっぱいになったら閉じて運ぶ人とすくう人に分かれて作業しました。泥の中には必ず白い紙のようなものが混じっており、それが水を吸って重さを増している、近所の方に伺うとすぐ近くに製紙工場があり、大きなパルプのロールが丸ごと流されて来たとのことでした。それらが、水を吸ってちぎれてそこら中に。また、時折ぬかみそのような強烈な臭いの固まり。これはやはり近くに飼料、肥料の工場があったとのこと。側溝の中は、泥に混じって流れ着いたいろいろな物が詰まっており、そこから初めてこの地での生活が少しだけ分かるのでした。

 

泥出し家屋編

ゴールデンウィークに入ったボランティアの手によって、泥出しを終えていたお宅は、次の作業として床下の掃き掃除と石灰撒き。しかし、泥出しが終わっていないお宅もまだまだたくさんありました。家屋の泥出しをするにあたっては、そのご家庭の方が側にいらして、泥の中から出て来たものを「要るもの」「要らないもの」の判断をして頂かなければなりません。更にその前に、大きな物を庭などに出してからでないと泥出しは始められません。

家として建物はなんとか建っていても、数週間前まで外壁に車が3台と自動販売機が張り付いていたから中には入れなかった、そしてやっと入ってみたら1階の天井まで水没した後があり、水が引いていても、自分のうちの物ではない物などが散乱していた……とのことでした。遺体の捜索で一度は重機が入り、大きい物は取り去ってもらったが……、うちからはご遺体は出なかったけれどね、などというお話を聞いていても、もうすでに「その時」を過ぎてしまったその家を前にしている私には、現状だけでも想像を絶する状況なのに、「その時」を想像するには私の想像力は乏しすぎました。

今回のミッション②のご家庭からご要望を聞き……ということで、一軒のご家庭の泥出しを始めることになりました。その通り近辺にいた3チームと一緒に取り組みました。玄関脇の台所と思われる部分の作業に約30人弱の大人が関わりましたが、2時間取り組んでもその部屋さえ終わりませんでした。これを、各ご家庭の方がするには限界があります。泥の中には、食器棚のものと思われる大きいものから小さいものまで多数のガラス片が隠れており、そっと掘り出せば奇跡的に壊れていない大切そうな壷などもあります。壊れていないものは、水洗いが出来る場所に集め、残りはガラスと土嚢袋に入れるものに分別していきます。無言で水洗いをするそのお家の方には、かける言葉もありませんでした。

別のお宅の駐車場に山積みになっている瓦礫の撤去もお手伝いしました。お家の方が「要らない」と判断した物は土嚢袋に入れて道路に出します。「これ、洗ったら使えますかね?」と聞きながら作業をしていましたが、ほとんど「要らない」「もういいや」とのお返事でした。でも、作業が進むうちに「それ、とっとくか……」「さっきのやっぱり直して使うかな」と変わって行くのが分かりました。最後は、道路に積んじゃったけど……やっぱりこれもこれも、と戻す作業になりました。心が前向きに変わっていくような感じでした。

 

16時 作業終了

作業を終えて、大街道小学校に戻る時間になりました。私たちを見送って下さった方に「また必ずお手伝いに来ますから。」と伝え、恐る恐る「もし良かったら一緒にお写真撮って頂いてもいいですか?」と聞くと「エッ!ボランティアでこんなに手伝ってもらった上に俺と写真まで撮ってくれるの?感激だな〜!ありがとう!ありがとう!」と喜んで下さいました。

その方のお話では、通り10軒くらいのうち「壊す」と決めたお家が今のところ3軒。「壊す」と決めたら行政が壊してくれる、そのかわりもう二度とそこには住めないそうです。「建て直す」のとは違うので、「壊す」と決めたお家の方はもう片付けにも来ていないうちもあるそうです。もうこの通りも住む人が変わってしまうなぁ……どうなって行くのかな……とポツリ。でも、また来てくれるなら頑張って待ってるよ!と拳をあげて笑顔で見送って下さいました。

 

宇田川さんたちは年単位の持続可能で長期の支援を考えています。今回のボラバスに参加した方の中で次に繋げようと考える方たちが、戻って来て1週間たった21日土曜日に再度集まりました。120名の参加者のうち20名が集まり、今後に向けて出来ることを行ってみて感じたことを軸に話し合いました。もちろん私も参加して参りました。

そのご報告と皆さんへのお願いは 石巻ボランティア②で掲載致します。

 

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